2015年12月22日火曜日

喪失の先に何があるのか

今年の12月は生涯で最もつらい出来事を経験した。近親者が亡くなる事は、かくも辛いことなのかと実感している。今月はもうすでに後半に入っているが、全くといっていい程その実感はない。新聞の訃報では毎日、どこかで誰かが亡くなっているわけで、同じようにほかの誰かがこの辛い思いをしていると思うと胸が痛いのである。Rayo庭に故人の大切に育てていた花が移植されている。子供たちが小学生のころ植えたと記憶している。その頃と環境が変化して日陰になっていたので、鉢に植え替えて日当たりのよい所に移動してあげた。来年春あたりに見事な花を咲かせてあげたいと思う。今年は柿、柑橘類の出来がよいようだ。デコポンも伊予蜜柑もたくさんなっている。おいしく出来たら霊前にお供えしようと思う。


0 件のコメント:

コメントを投稿